Yukiのストーリー最終編 軸を手に入た!

「誰にも邪魔をされない人生を生きる誇りを持って生きる」

これが私の生きる軸です。

 

この軸がある、

ストーリー1ネガティブ子誕生

ストーリー2フランスが救った!で書いたようなような経験がある。

だから私は今、しっかり地に足をついて歩いているのです。

今、本当の自分って感じです。

苦しくもない。当たり前ですが、悩みはありますよ。もがくこともある。

でも重くない。苦しくないし、何より「生きるよ!楽しむよ!!」って心の底から言えます。

《息子が私を変えてくれた》

22歳で長男を出産した私は、

少しずつ、孫をだしにして、やっと母に甘えることもできるようになりました。

「じぃじ」と「ばぁば」になった両親は本当にびっくりするほど変わりました。

 

そして、自分が母親になり気が付いたことの大きさ、

私は、それを早く知るためにも若くして母親になったのかもしれません。

だんだん、自分を生きることにフォーカスでき、すると、

今度は、理想の自分と格闘し出します!

 

《28歳の気付きと決意》

ずっとモヤモヤしていた毎日が過ぎていきました。

28歳の誕生日を迎えたことでした、男子2人の母親になった私。

念願だった一軒家にも住めている。英語教師を開いている。

はたから見たら順風満帆かもしれませんが

 

私の中では大きな穴がありました。

30歳が目前にあるけど、私はちっとも自分の想像していた大人になれていない

 

もっとしっかりしていて、

キラキラしてて人生を楽しんでいる大人になれると思っていたが、

このままでは無理! まだ自分のことが嫌いだし・・・

 

周りが羨ましくて仕方がない。

「私なんか」という基本の考えがありました。

 

色々探してコーチングを知りました。思い切って相談をすることに決めました。

 

彼女は私を生まれ変われせてくれた人です。

今ここまで書いてきたことなどを全て話したら私に

「ゆきちゃん、生きていてくれありがとう」

と言ってくれたのです。

 

そこから、彼女によるコーチングで

私自身が自分を認めていないこと

愛していないのも、見ていないのも

 

全ては母ではなかった

 

「他の誰でもない、自分自身だった」

 

このとっても大切なことに気がつくことができました。

 

彼女は最後のセッションの方で私に告げました。

(半分キレていたと思います。あまりにもウジウジ自分の幸せを許さないから)

いい加減、自分に幸せになっていいって許しをだしたら?ゆきちゃんはお母さんを許さなくてもいい、自分を幸せになることは許したほうがいい、幸せにならない、なれないって生きてるのはまるでお母さんに、復讐しているみたいだよ、それでいいの?

 

そんなみみっちい女になりたくない!

と思って私は本当に声に出して、自分に言い聞かせました。

 

「もう終わり、幸せになっていいよ」「よく頑張ったね」

 

そこから雪解けのように不幸な私人生が終わって生きました。

 

《もう私は誰かさん人生は送らない!》

その後も子育てで悩んだり、自分を否定する癖がなくならないなど

たくさんあって、コーチと一緒に乗り越えました。

 

そして、さらに、

私が中学生の頃からずっと学んできたフランスの女性の生き方を

取り入れて生きてみました。

 

哲学を人生に反映させたのです。

 

みるみる自分が楽になり、

生まれ変わったようになって生きました。

 

頑張ることもやめた。

いい人、いい娘。いいお母さんもやめた。

そう、やーめた!

自由に生きます!

自分の人生を生きるという意味が身を以てわかったのです。

 

2015年日仏女性研究学会に入会しました。

今まで学び場であった大学がなくなってしまうということもあり、

もっと勉強したくて入会したのです。

 

そこで出会った棚沢直子さんが私に言ってくださった言葉が

誇りよ、誰にも邪魔をさえれない人生を生きるという誇りを持って生きるのよ

あなたは哲学を人生に反映させている、そんな人あまりいないんだからね、自信を持ちなさい

この言葉は私をグッと強くさせました、自律させたのです。

 

私が今持っている軸はこうして出来上がりました。

 

つまり、自分を愛していない人は軸を持てません。

自分を信用できないのですから、

 

自分の軸がない、

自分を信用していない。

認めない。愛していない。

 

そうするとどれくらい辛く、苦しいのかをわかっている私だから

 

「軸を持つ」とことの大切さを語るのです。

 

そして、軸太くなるとどれほどに生きていることが楽しくて

楽なのかがわかっているから伝えたいのです。

 

私たちはもっともっと、自分をしっかり愛して

自分を信じてそれぞれの軸を強く持って生きるほうがずっといいと

声を大にして言いたいのです。あなたに伝えたいのです。

 

人が自分を認めて、しっかり許し、愛することができると

自分を囲む人々、環境までも変わります。

 

私は2016年にすべてこの33歳までの人生をまとめた

本を出しました。

 

すごく怖かった。母のことを正直に書いたので

母を怒らせてしまうと思ったのです。

 

しかし、この本を書きながら私は私の全てを受け入れて

許しました。母に持っていた恨みやら憎しみが全部消えたのです。

 

そして、母に本のことを話したあと、すぐ33歳の誕生日に奇跡は起きました。

 

私の誕生日をいつも忘れてしまう母が、11月28日誕生日当日朝

LINEを送ってきました

「誕生日おめでとう、私の娘に生まれてきてくれてありがとう」

 

初めて言われた言葉。

「生まれてこなければよかった」と言われた私が、

「生まれてきてくれてありがとう」そう言ってもらえたのです。

メイクしようとしてい洗面台で 読んだLINE.

あの日泣き崩れたことを昨日のことのように覚えています。

 

私を軸ある人に変えたのは、

コーチングの先生だけではなく、

たくさんの人のおかげです。

 

そして、フランス哲学に出会ったことはかなり大きく影響しています。

フランス哲学にのめり込み、学び自己を見つめることや、

選択の自由を知ったこと、

 

幸せを求めて生きていい権利がある。

 

ということを知れたことは私の財産です。

 

自由に生きれるようなった今でも

それを持っているから軸がブレることはありません。

 

それどころから、最近はどんど太くなっています。

 

揺るぎない想い

自分を信じる気持ちが強まることの安心感。

 

これは身につけた人にしかわからないことです。

しかし、誰にでも身につけることができます。

 

自分を大切にすることができれば必ずできます。

今後はこの軸を強くするということをお伝えしていきたいと思っています。

 

さ、もうすぐ私も35歳。

自由に自分の人生を楽しみます!悪しからず。

 

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長谷川ゆき

 

今までのYukiのストーリーはこちらです!

1プロローグ

2暗黒時代1

3暗黒時代2

 

Yukiのストーリー 「フランスが私を救った」

私が命を捨てずに済んだ理由

「フランスの女性の生き方を知ったから」

ストーリ1ネガティブ子誕生で書いたような辛いことがたくさんある中でも

それでもきっと私は「自分を大切にしたい」

「幸せになりたい!」という願望が生まれ持って強かった私。

 

生まれ持っているこの感情が

何かを求めていた、探していた。

 

私の居場所を探していました。

「生きていいんだよ」そういってもらいたかった。

 

その求めていたものを中学生という早い段階で

知ることができたことは、本当に救いだったと思います。

 

10代の人生の中で最大の気づきはこれです↓↓↓

フランス文学・哲学が「生きていいって」教えてくれた

ありがとう!フランス!笑

 

中学1年でフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』を読みました。

 

その世界に溺れるようにそれからサガンを読み漁りました。

その憂をひめたような世界に没頭することで現実から逃げれたから。

 

そして、そこからフランスが気になり始めて、

中1で高校生になったらフランス語を勉強するって決めて

学べる高校を希望校にして勉強を頑張りました。

 

何かのテキストに

サルトルと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが出ていました。

中学ではよくわからなかったけど、すごく気になったのです。

 

そのあと、ココ・シャネルの「私が成功したのは孤独でしかない」

という言葉がやたらと気になって高校入試の面接ではそれについて語ったほどです。

 

そこからずっと私はフランスに魅せられています。

「権利、自由、友愛」の国。

私は、フランスを調べていくうちに、

権利と自由が自分にもあるかもしれないと思うことができたのです。

(確実に皆にあるのですが、私には、それはないと思い込んでいました)

 

思春期だったこともあり、

心も、体もバランスを取れなくなりました。

 

自律神経失調症、鬱

過換気症候群、パニック症になりました。

 

なんども、あと少しで本当に・・・というところで

 

私、フランスに行ってない、死ねない。

あの場所へいったら私には違う人生があるかもしれない

と、最後のとこまで行かずに思いとどまることができました。

 

日本ではない場所に、私の求めたものがあった!

フランスに行く前に高校生の時にオーストラリアにホームステイをしました。

今まで言われたことのない、I love you を毎晩のように

ホストマザーに言ってもらい、帰国の時も、

「あなたは私たちの5人目の家族だからいつでも帰ってきなさい」言われて、

愛されていることを実感しました。

 

ま、日本に戻ってすぐにやっぱりあれは夢だったんだ・・・なんて思ってしまって

それでも日本で私を思いりき愛してくれる人はいない。

負の連鎖は続き、もうどうにもこうにも行かなくなります。

 

本当酷いネガティブ子さんでした。

 

両親の中は悪くなるばかりでしたし、

私の身体もどんどん壊れてきました。

 

その度に、私さえいなければと思う日々。

いっそのことこのまま・・・って思うのに、

それは神様がきっとさせてくれなかったんだね。

《誰かの人生しか生きてなかった》

それでも必死に、いい子。いい娘、いいお姉ちゃん。いい人。

誰かの〇〇という人生を生きていました。

 

フランスに行ったら私の生きる人生があるような気がして

必死に毎日を過ごしました。

 

思春期にエピソードがたくさんあるので全てを書いていると

ブログでは収まらないのでぜひ、書籍をご購入ください!

《念願のフランスに降り立つ!》

さて、19歳の3月。念願のフランス留学をしました。

今でも昨日のことのように覚えている旅発つ前の日の恐怖。

 

やっと行ける喜びと、これで私の生きる意味がなくなる恐怖。

やっと叶うという興奮を超えた恐れがありました。

 

しかし、フランスの地に足をついた時。

自分でちゃんと立っている。生きているそんな感じがしました。

心底、ホッとしたました。あの感覚はちょっと私の語彙力で説明ができないのですが、

「ここだ」って感じ。

 

フランスでは「自分はどう思うのか」

これが大事です。しっかり言葉で思いを表現して行く必要があります。

《最高の孤独タイム》

1ヶ月でしたが、母と離れられたこと、

日本語を極力使わないようにして新しい人生を見つけようとました。

何より、じっくり自分と向き合うことができました。

 

「私は何を思うのか」

「私はどうしたいのか?」

「私は生きたいのか?そして、どう生きたいのか?」

を常に考えました。

 

この時に、

「孤独」とは悪いことではないんだということも学びました。

 

帰国した時、もう一度くること、もっと深く学ぶことをこれからの

生きる力にしようと胸に刻みました。

 

しかし、それから就活がすぐに始まりあっという間に時が過ぎました。

少しずつ考え変わってきたとはいえ、

 

なんせ、自分が生きてることさえごめんなさい。

と思っているので自分を否定しまくっている私ですから、

就活でも履歴書の長所欄を書くのが大変でしたが短大も卒業して、

就職もできました。

 

そこしずつ、発作は収まり

21歳で結婚しました。22歳で長男を出産してから母親である、

守らないといけないことがあるという自覚が芽生え、

倒れてはいられないと思う気持ちから体は強くなりました。

 

それでもまだ、

根が深いものが自己嫌悪。

誰かの何かとして生きるというクセでした。

 

《今度はいいお母さんとして生きよう!》

もう、どこまでおバカ、学習しないのでしょうか、

母親になってからの私は、やっと自分の人生を生きるって思えていたのに、

また始まった誰かの〇〇さん人生。

 

必死でいいお母さんになろうとした、

若いお母さんだからって世間から笑われないように。

いい奥様。いいお嫁さん・・・・

 

誰かの何かとしての評価が気になる。

世間体が気になる。

 

しかし、本来の私が生まれ持っている素質が「自由奔放」

私は射手座で、亥年、個性心理学ではライオン。

見る人が見たら、そりゃそうだろ。ってなりますよね?

 

そう、だから、本当の自分の素質と、真逆をしようとしてるから

当たり前に疲れる。

うまくこなせちゃうけど、長く持たないのです。

 

《やっと心の叫に気がつく28歳の誕生日》

魂が、私の身体の奥底から

「もーーーーう!無理!!!!!」という声がしたのです。

 

そこからです。

大きなことに気がつきました。

そして、人生が変わったのです!

 

どんな風に変わって、

何があったのかはラスト、「今の私」編で!

 

毎度のご紹介ではありますが、

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長谷川ゆき

 

Yukiのストーリー プロローグ

Yukiのストーリー 暗黒時代1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のストーリー 「ネガティブ子誕生」

愛らしく、生きる

フランス式コーチングをやっている「長谷川ゆき」とは

どんな人?プロフィールだけでは分からないことを

ストーリーにしています。プロローグはこちらからお読みください。

さて、今でこそ

ポジティブ思考!前向き!な私です

射手座。亥。数秘は33。

絶対型にはまった人生なんて送るはずない星の下に生まれたことに

今はしっかりと気が付いているので謳歌していますが、

 

そんな私には超がつくほどネガティブ子時代がありました。

それが形成されたのは幼少期。

 

1983年11月28日 熊本生まれ。

公務員の父

結婚するまでバリバリ働いていた母の元に

長女として、両家の初孫として生まれました。

小1まで育ったのは西新宿。

父のことがどうしても好きになれない母にとって

望んではいなかったが、生まれてきたらやっぱりそれは可愛くて、

嬉しくて、愛おしい娘でした。

(今だからそうだったと書けます。自分が母親になってわかったことです)

母はともかく父が嫌いでした。

だから私のことは望んでいなかった。

しかも、離婚できないのは、子どもたちがいるから。

私が1人ではかわいそうだから、弟を4年後に出産。

 

母の中で脱ぎきれなかった

「ゆきが生まれてこなかったら・・・」

 

この想いって黙っていても伝わっちゃうんでしょうね。

というか、驚く事に、

面と向かって言われましたから。

 

「あんたが生まれてこなければよかったけど」

「あんたがいるから大変な思いをしてもパートもやめれない」

「あんたがいるからお父さんとも別れらない」

 

ってね。

 

「え?それ直接言っちゃう?

あ、ごめんなさい生まれてきちゃって

ただでさえ、学校ではいじめられて絶望的になっている私。

いくら小学生でもこの言葉は受けて止めきれませんでした。

衝撃が強すぎませんか?

 

言葉と母のその時の顔による破壊力は凄まじかったです。

常に私の中にある言葉、想いそれは。この叫びです。

「お母さん!褒めて!私をみて!認めて!」

 

私は2歳で川崎病になり一度三途の川を渡り掛けてます。

だから、母は体が弱いまま大人になると覚悟して、

勉強をしっかりさせて、手に職をつけさせようと必死になったそうです。

 

おかげさまでお勉強は出来る子でした。

しかし、母はたとえ100点をとっても褒めてはくれません。

ピアノの発表会も先生が褒めても、母は褒めない。

 

私が欲しいのは、よその人からの称賛じゃなくて

大好きな母からの言葉、愛だったのです。

 

母は、与えていたつもりかもしれません。

しかし、私には届かなかった。

 

だから、ともかく、母にとっての良い子になろうと必死でした。

明るく振る舞い、手伝いもして、しっかりしたお姉ちゃん。お勉強もできる子。

を演じていたのです。

「生まれ持った明るさ!」

これが私を余計に苦しめたのかもしれません。

当時から女の子!という物が大好きでした。

ピンクが大好きフリフリ大好き!

人を楽しませること、おしゃべり、モノマネをしてサービス精神旺盛。

きっとこれは今でも変わらないので

生まれ持ったものですね。目立ちたがり屋ともいいますね笑

 

でもあの頃は、子どもなのに、

明るいのか、明るくしているのか分からない状態でいつもいました。

 

母の愛をいつも探していました。あの頃からずっといい子を頑張りました。

(ちなみに今はわがまま娘です)

 

幼い頃から自分の意見がすごくあって、

周りと同じが嫌でした。大人には好かれる。でも

いじめっ子には「何よ、あの子」という存在。

だから、いつも人の目を気にしていました。

叩かれたくない。でも大人しく目立たなくができませんでした。

 

面倒ですね。

自分の意見はあるくせに、母のいい子として生きようとしていたんですから。

 

ともかく良い子でいないと母は私を見てはくれないと本気で思い込んでいたのです。

 

母は、パートをしていました。

愚痴っぽい人で、今でもそれは変わっていないのですが、

私が母に何か学校のことを話そうとしても

「聞いてよ!今日さ、〇〇さんがね」

「あー疲れた」「あーしんどい」と眉間にしわを寄せて自分の話を

してくる母。

 

私は自分のことが言えなくなり、言わずにいる。

湧き上がる想いは一つ。

「大人になっても、結婚も含め苦しいんだ、今も学校でも辛い、

いい子として生きているこの子ども時代も辛い

 

今、生きていてもいいことはない。

母にも愛されない。大人になっても楽しそうではない。

だったら消えてしまおう。

 

毎日どうしたら苦しまずに消えることができるか

考えました。それ小学校3年生の3学期からかな?

ずっと10代が終わるまでずっと考えていた。

自分のことが大嫌いで憎い。

生きてることも呪いたくなる日々。

 

今では、この経験は本当に宝だと思っています。

今でも思い出すと辛いですよ。

しかし、もう今は母への恨みなどありませんし、

わだかまりもありません。

私が生き延びれた理由、わだかまりがなくなった理由を

次回お話ししますね。

 

もっと詳しい内容は、
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長谷川ゆき

 

Yukiのストーリー プロローグ

「お母さん私を見て」

 

幼少期に、叫びたかった女性って結構多いですよね。

私もその1人。

 

褒めてもらいたくて、認めもらいたくて頑張る。

でもいつしか、その頑張りは逆効果になる。

 

「この子は大丈夫」「この子ならもっとできる」

だから、余計に欲しい言葉はもらえない。

自分自身が母になってわかることがたくさんあって

母の言葉、行動の意味も今ならわかる。

 

それでもこの言葉は一生忘れない

「生まれてこなければよかったけどね」

 

私は生まれてきてはいけなかったんだ。

だからこんなにいつも悲しいことばかり起こる。

 

自分が大嫌い、

私なんか、生まれてきてしまって、生きててごめんなさい。

消えなきゃ。

 

そう毎日思っていました。

 

今でこそ、自分のことがとっても大切で

愛しているし、認めています。

ですから、最近知り合った方には

いつも明るくて、自分のことちゃんと愛しているし、自信がありますよね。

と言われるのです。

 

今はそうです。大正解!なので心から素直に、

「ありがとうございます」と言います。

 

でもね、やっぱりね

「悩みなんかなさそう」「愛されて育ったんでしょうね」と言われると

いまだに心がギュってなります。

 

今のこの自分の軸がしっかりあるのは

自分で自分の人生が嫌だったので

変えてきたからです。

 

もちろんそれは1人で成し遂げたわけではありません。

支えてくれたたくさんの人のおかげでそれを成し遂げました。

 

だから、いつも「経験しているからわかります」というのです。

「あなたのその苦しみがわかる」という言葉は嘘でも、営業トークでもありません。

 

暗黒時代があった私だから、抜け方もわかるし、

自分を愛することの重要さがわかるのです。

 

自分を愛することの素晴らしさ、

そして自由に自分の人生を生きることの大切さ

を伝えられるのです。

これから数回に分けて、

本当は自分が大好きな少女が、自分が生きていることさえ許せないほど自己否定をして

身も心もボロボロになって。それでも

全て受け止めて、許し、愛せるようになった私のストーリーを書きます。

 

ダイジェスト版で書きます。

YukiのストーリーNo.2 暗黒時代1はこちらか読めます。

 

もっと細かいエピソードなどはぜひ、

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長谷川ゆき

 

P.S

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École d’Yuki