私のストーリー 「ネガティブ子誕生」

愛らしく、生きる

フランス式コーチングをやっている「長谷川ゆき」とは

どんな人?プロフィールだけでは分からないことを

ストーリーにしています。プロローグはこちらからお読みください。

さて、今でこそ

ポジティブ思考!前向き!な私です

射手座。亥。数秘は33。

絶対型にはまった人生なんて送るはずない星の下に生まれたことに

今はしっかりと気が付いているので謳歌していますが、

 

そんな私には超がつくほどネガティブ子時代がありました。

それが形成されたのは幼少期。

 

1983年11月28日 熊本生まれ。

公務員の父

結婚するまでバリバリ働いていた母の元に

長女として、両家の初孫として生まれました。

小1まで育ったのは西新宿。

父のことがどうしても好きになれない母にとって

望んではいなかったが、生まれてきたらやっぱりそれは可愛くて、

嬉しくて、愛おしい娘でした。

(今だからそうだったと書けます。自分が母親になってわかったことです)

母はともかく父が嫌いでした。

だから私のことは望んでいなかった。

しかも、離婚できないのは、子どもたちがいるから。

私が1人ではかわいそうだから、弟を4年後に出産。

 

母の中で脱ぎきれなかった

「ゆきが生まれてこなかったら・・・」

 

この想いって黙っていても伝わっちゃうんでしょうね。

というか、驚く事に、

面と向かって言われましたから。

 

「あんたが生まれてこなければよかったけど」

「あんたがいるから大変な思いをしてもパートもやめれない」

「あんたがいるからお父さんとも別れらない」

 

ってね。

 

「え?それ直接言っちゃう?

あ、ごめんなさい生まれてきちゃって

ただでさえ、学校ではいじめられて絶望的になっている私。

いくら小学生でもこの言葉は受けて止めきれませんでした。

衝撃が強すぎませんか?

 

言葉と母のその時の顔による破壊力は凄まじかったです。

常に私の中にある言葉、想いそれは。この叫びです。

「お母さん!褒めて!私をみて!認めて!」

 

私は2歳で川崎病になり一度三途の川を渡り掛けてます。

だから、母は体が弱いまま大人になると覚悟して、

勉強をしっかりさせて、手に職をつけさせようと必死になったそうです。

 

おかげさまでお勉強は出来る子でした。

しかし、母はたとえ100点をとっても褒めてはくれません。

ピアノの発表会も先生が褒めても、母は褒めない。

 

私が欲しいのは、よその人からの称賛じゃなくて

大好きな母からの言葉、愛だったのです。

 

母は、与えていたつもりかもしれません。

しかし、私には届かなかった。

 

だから、ともかく、母にとっての良い子になろうと必死でした。

明るく振る舞い、手伝いもして、しっかりしたお姉ちゃん。お勉強もできる子。

を演じていたのです。

「生まれ持った明るさ!」

これが私を余計に苦しめたのかもしれません。

当時から女の子!という物が大好きでした。

ピンクが大好きフリフリ大好き!

人を楽しませること、おしゃべり、モノマネをしてサービス精神旺盛。

きっとこれは今でも変わらないので

生まれ持ったものですね。目立ちたがり屋ともいいますね笑

 

でもあの頃は、子どもなのに、

明るいのか、明るくしているのか分からない状態でいつもいました。

 

母の愛をいつも探していました。あの頃からずっといい子を頑張りました。

(ちなみに今はわがまま娘です)

 

幼い頃から自分の意見がすごくあって、

周りと同じが嫌でした。大人には好かれる。でも

いじめっ子には「何よ、あの子」という存在。

だから、いつも人の目を気にしていました。

叩かれたくない。でも大人しく目立たなくができませんでした。

 

面倒ですね。

自分の意見はあるくせに、母のいい子として生きようとしていたんですから。

 

ともかく良い子でいないと母は私を見てはくれないと本気で思い込んでいたのです。

 

母は、パートをしていました。

愚痴っぽい人で、今でもそれは変わっていないのですが、

私が母に何か学校のことを話そうとしても

「聞いてよ!今日さ、〇〇さんがね」

「あー疲れた」「あーしんどい」と眉間にしわを寄せて自分の話を

してくる母。

 

私は自分のことが言えなくなり、言わずにいる。

湧き上がる想いは一つ。

「大人になっても、結婚も含め苦しいんだ、今も学校でも辛い、

いい子として生きているこの子ども時代も辛い

 

今、生きていてもいいことはない。

母にも愛されない。大人になっても楽しそうではない。

だったら消えてしまおう。

 

毎日どうしたら苦しまずに消えることができるか

考えました。それ小学校3年生の3学期からかな?

ずっと10代が終わるまでずっと考えていた。

自分のことが大嫌いで憎い。

生きてることも呪いたくなる日々。

 

今では、この経験は本当に宝だと思っています。

今でも思い出すと辛いですよ。

しかし、もう今は母への恨みなどありませんし、

わだかまりもありません。

私が生き延びれた理由、わだかまりがなくなった理由を

次回お話ししますね。

 

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長谷川ゆき

 

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